ヨルニヨル

酔っても依ってもいられなくなりましたね

26

 つい先日26歳になりました。

 

 25歳の1年は目まぐるしすぎたな、よく思い出せない。

 

 去年の今頃は仕事辞めたいの一辺倒だった気がする。毎日11時帰りで、とてもキツかった、気がする。でもまぁ、ゆるっとしあわせだった。誕生日にもらったゴッツいコートは今もまだ着ている、もらったリュックもまだ使っている、もらった手編みのマフラーはちょっともう使えそうにないかな。

 

 3月でどぎつかった現場を抜けて。抜けるって言いだしたのは自分だったのに、悲しくなったし、寂しくなった。なんなんだろうね。あの現場は、とてもシビアだったけれど、仕事の進め方は合理的だったと思うし、いまでもそのやり方が自分のなかの根本になっていると思う。資料を作るときはそこで使っていた資料をひな型として作ったりしている。好きだったんだろうな。自分がついていけなかっただけで。

 

 4月は落ち着いた環境でゆっくり勉強させてもらった。

 

 5月、新しい仕事場に参画させてもらった。

 

 バイトをしている時からずっと思っているのだけれど、自分は仕事場の人間関係にはいつも恵まれているなと思う。嫌いな人というものがいたことがなかったように思える。みんないいひとなんだ。それは今にいたってまでもそう。

 

 この頃から、好きだった人との関係に歪みが露呈し始めた。(当時のおれはおかしくなってきたって思っていたけれど、見て見ぬふりをしてきただけで、もっと前からずっとおかしかったんだ)

 

 6月に終わる。

 

 大変だったな。いろんなひとの前で泣いた。現場の上司の前で泣き、社長を呼びつけて泣き、両親にもう孫見せられそうもないと泣き……今考えるととち狂ってるとしか思えねえーな。

 

 職場の人、みんないいひとだったから、仕事は失わずに済んだ。仕事内容も、前年度までの地獄に比べれば児戯みたいなもんだったし。

 

 抜けた現場がどぎつかったから、新しい現場ではそこまで苦労しなかったんだと思うんだけれど、好きだった人との関係がおかしくなっちゃっていった原因の一端はその時の仕事のどぎつさにもあった気がするから、なんか複雑な気持ちが消えない。

 

 いろんな人にぶちまけまくったのが7月だったかな。

 

 8月、おれの人生ってこんなこともあるんや……ってウケた。

 

 終わってからの日々については、誰かに会ったことくらいの記憶しかない。

 

 9月……誰かに会ったような気がする。

 

 9月末日で、5月からお世話になっていた現場から退場することになった。今回はきちんと契約満了で、円満な終わり方。よかったね。最後の日はやっぱり寂しくなった。

 

 10月から新しい現場。まったくやったことのない分野での仕事だったので、多分に不安であったけれど、2か月経った今まではどうにかこうにかやってこれている。職場の人たちには恵まれるというジンクスはまだ生きていてくれているみたい。

 

 10月からは変わろうと躍起になっていた。25年間かけていたメガネを外して

コンタクトにした。デコが広くてみっともないので髪形をなんとかしようとした。なんとかなってねえんだけど!

 

「これが自分と向き合うことなんですかねえ」って、躍起になりながら思った。25年間ほっぽらかしていた自分が報いをよこしているんだなって思う。あの人からの別れの言葉も「自分と向き合ってね」だった。

 

 向き合えば向き合うほどきつい。自分ががらくたにしか思えなくなっていく。

 

 でも諦めたくありません。

 

 先日「ジョゼと虎と魚たち」という映画を観た。以下はこの映画のセリフ。

 

"うちはずーっと深海の奥深くでひとりぼっちでおった。別に寂しうなかった。ずっとひとりだったから。だから今更あそこに戻っても最初に戻るだけやからなんとも思わん……"

"けど、もううちはあそこには戻れへんのやろ。いずれあんたを失ったらころころころころ、海の中を貝のように転がるんやろ"

 

 よく「このタイミングでなんでこんなクリティカルなものにであってしまうんだ」って思うことがあるのだけれど、今回もまさにそれ。なんか、とても救われてしまった。救われてしまったんだよなあ。

 

 この記事で言いたいことはただひとつ。「ジョゼと虎と魚たち」観て。